暢気者で行こう

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日が伸びた

完全なる寝正月。

イヤ、喪中なので正月はないのですが・・・

一応、雑煮とちょっとした正月料理を母に供えてみる。

去年まで雑煮を作るのは母の役目だったけど、な~んだ簡単じゃん。

醤油ベースで鶏肉と大根と人参と里芋。

同じ味に作れて満足。

うちは昔からちゃんとしたおせち料理を用意しないのだけど、高校の家庭科の授業で「家で作っているおせち料理のレシピを提出しなさい」という宿題が出て困った自分は、一般の家ではほとんど読まない‘家の光’というJA発行の雑誌に載ってた正月料理の作り方を丸写しにして提出したら、すごくいいって先生に褒められてしまった。

「私は好きじゃないから食べないんですけど・・・」とか言って、わずかな良心の呵責を感じながらも友達にも黙っていた高校1年の冬。

正月になると思い出す。

で、とうとう今日はどこにも出かけずに夕方が訪れてしまった。

最近は暗くなるのが早くて4時半ごろには戸を閉めていたのだけど、夕方初めて外に出てみたらまだ明るいの。

調べて見たら12月の中ごろより10分も日の入りが伸びていた。

やっぱり正月は初春だった。

そのかわり日の出が今一番遅くて6時50分ぐらいだけど。(49分になるのは1月18日)

今年の冬はいつになく暖かくていい感じ。

本当の春も早く来てくれるかな。

やっぱり季節が丸ごと変ってくれないと気持ちも切り替えられないのよね・・・
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# by nonky414 | 2016-01-01 22:36

レコ大を見た

今までは茶の間に歌番組を拒否する人がおりましたので超久々です。

たぶんいたら笑ってコラえてあたりだったな。


やけに長い番組でこりゃみんな見ないよな~って・・・

流行りの歌だけではもたないのはわかる。

だって知らいない人ばかりなのだもの。

新人賞の人たちはどこの日本で売れた人たちなのだろう。

パラレルワールドか?

さっき今年のシングル売上ランキングを見てきた。

ベスト20中14曲が大人数のおねえちゃんたちのグループで、ジャニーズが4曲。

そして15位にやっと今年の大賞のおにいちゃん達。

今の世の中シングルCDの売上が全てではないのは重々承知でございますが、つまらないです。

20年後30年後、今年流行った歌を覚えている人は少ないのだろうなあ。


子供のころワクワクしてベストテン番組を見て今でも昔の歌をそらで歌える自分たちは、幸せなのかもしれない。

クリスマスから大みそか、正月までは1年の中で一番おもしろかった気がする。

今年はさみしい・・・・

と覚悟してたけど、そうでもない。

近所のおばちゃん、親戚のおばちゃん、会社の社長のおばちゃんから、絶対ど~んと落ち込むからね、無理しないでね、と同じようなことを次々言われ覚悟していたのだけど、そーでもない。

たとえば面白いことがあって教えてあげたいって思ったときに、ああもう話してあげることはできないんだって思うことはよくあるのだけど、そのことイコール落ち込む・・・ではないのよね。

私って冷たいのかなって会社のねえさんに言ったら、自分もそうだったって聞いてちょっと安心した。

昔から母がいないくなったら自分は壊れてしまうかもしれないって思っていたこともあって、今の気持ちは自分のことながら客観的に見ておもしろいなと。



来年はまず家の片づけをして、それから自分が今一番やりたいことを見つけて新しい生活のリズムを作っていきたい。

近所のおばちゃんにまず自分が楽しむことを第一に考えると楽になるよって言われ、本当にその通りだって思った。

今年は生まれてから一番大変な1年だったけど、来年は生まれてから一番楽な1年になるようのんびりやろう。

なにしろ母曰く、私はすごい暢気者らしいから・・・・
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# by nonky414 | 2015-12-31 18:04

自分で自分を褒めてあげたい

昨日葬儀が終わり、年金事務所や市役所の手続き、お礼の品の購入と、とりあえずやらなければならないことは今日で終了。

通夜、葬儀と、「皆様ありがとうございました」と何度もお礼を言ったけど、一番声をかけてあげたいのは自分自身です。

愛想はいいけどちょっと頼りにならない担当の葬儀屋さんをフォローしながらちゃんと母を送ることができたのは、我ながらよくやったと、誰も褒めてくれないので自分で褒めます。

花いっぱいの式にしてあげたいという希望を、葬儀屋さんに出来ませんと言われがっかりしたことを菩提寺のご住職に話したら、「そんなことはない、できるよ」とのアドバイスをもらい、再度担当者と交渉。

自分の目の前で花屋さんに電話してもらったらあっさり希望通りの花いっぱいの祭壇がOKに。

火曜日に家から送り出す時、お供えしてあったご飯とお団子はお棺に入れますと言っておきながら、すっかり忘れてその後音沙汰なし。

土曜日に来たとき、「忘れてしまいました、今から入れますが。」

アホか、4日前のご飯と団子なんぞとっくに捨ててしまったわ。

いい人そうなんだけど、頼りないの。

通夜、葬儀のときは同じ葬儀社のベテランの女性が司会をしてくれたので、2日間はその人にいろいろ相談。

あやふやなことは言わず、的確なアドバイスをいただきました。

しかし、今はわからないことがあるとネットで調べられるからすごくよいです。

一番頼りになったのはスマホとパソコンでした。


菊が一つもなくピンクと白の洋花でいっぱいに飾られた祭壇はとても素敵でかわいくて、花が少ないことを知っていた親戚からも驚かれ、参列して下さった近所のおばさんからも「こういうのいいね」って言っていただき、思わずスマホでパチリ。

まだ見返すことはできないのだけど。

出来ることなら本人に「どう?素敵でしょ」って感想を聞きたい。

頑張ったよ、お母ちゃん!

褒めてよ、褒めてよ・・・
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# by nonky414 | 2015-12-08 23:13

おくりびとが家に来た

今日10時から納棺だったので、担当の人が二人ぐらいでやってきてちゃちゃっと30分ぐらいで終わるのかと思ったら、大した儀式が我が家の8畳の部屋で始まってしましました。

やってきたのは若いお嬢さん一人。

大丈夫?

だって力仕事だよ?

納棺師と出会ったのは初めてだったので、ポッカーン。

叔母たちもあの人一人でやるの?とボソボソ。

準備するのでぬるま湯を洗面器に半分ぐらい用意してくださいと言われお風呂場のそれを持ってキッチンにお湯を入れに向かったがよく見ると、いやよく見なくてもうちの洗面器は超汚れてる。

あわててキッチンハイターをかけゴシゴシ。

案外あっさり汚れは落ちて、ホッ

持っていくとふすまを締めて皆さん部屋から出ていてくださいと追い出される。

何がはじまるのだ。

鶴の恩返しの夫婦のように、見て見たい。

叔母が縁側からこっそり見てる。

「一人でやってた・・・」

何をだよ~

数分してふすまが開けられ納棺の儀式が始まる。

まず着物を着替えさせるという。

え?みんなが見ている前で?

と心配したが、1枚白い布をかけてその下でやるのでこちらからは素肌は見えない。

結構力がいるようで、母を横に向けながらムリムリっと引っ張りながら脱がせていく。

作業を見ながら、そういえば母はパンツ穿いているのかしらと変なことを思った。

ずっと寝たきりだったのでこちらからは病院に下着渡してなかったし。

それ用のがあるのかな。

昨日からずっと見れる状態だったけど布団をめくって見るという発想はなかった。

てか、見られなかった。

全部脱がした後、白い着物と紫の羽織を着せるという。

こりゃまた大変だ。

二枚を重ね合わせ母の横に敷いた後身体を傾けながらちょっとずつ下に滑り込ませていく。

布の下で器用にやるな・・・とは思わなかった。

力が入り納棺師さんの手ががプルプルして、手を袖に通す時はなかなか通らず母の手が着物の中ですっごく曲がっているのが見える。

着物の袖をギシギシ言わせながら力ずくで。

頑張れ!心の中でおねえちゃんを応援。

ポキって音が聞こえた気がしたけど気のせい、気のせい。

やっと着せ替えが終わったときは、こちらがホッとした。

顔そりと泡のシャンプーでさっぱりし、化粧の前にみんなで顔を拭いてあげる。

化粧のご要望はと聞かれ、普段化粧をしない人だから最後は真っ赤な口紅を・・・と思ったが絶対本人がイヤだと思ったのでお任せしますと。

ファンデーション、ほほ紅、シミやアザのところは重点的に、眉を整え、小さい布で隠しながらの作業はたぶん鼻毛を切ってくれていた。

出来上がった顔は・・・

赤い口紅にしなくてよかった。

赤かったら、オカマバーの年とったママになっていた。

亡くなる1日前に病院が散髪してくれていて (この日がもうすぐだってわかっていて切ってくれたのかも、結構伸びてたから)、人生で一番ショートカットの上横分けしてたから生きてるうちから、おっさんやんって思ってた。

これでいいですかって言われ、前髪をちょっとたらしたほうがいいかなって思ったけど、あとで直せばいいやと思ってOKを出す。(今でもママの髪型のままです。人相もいつもと全然違う・・・)

足袋、手甲をみんなで穿かせ、杖、草履を入れる。

ゆうれいでおなじみの三角の布は、顔の様子が変わってしまうからと懐に入れる。

棺が運ばれみんなで中に収める。

箱の中を整え、母が生前この日のために自分で用意していた若いころの着物と、洋服に頓着しない母が寒くなると唯一こだわったダウンジャケットをいっしょに入れてもらう。

蓋が締められ終了。

使ってたお布団はお焚き上げが出来るというのでお願いする。(よかった、もう使わないもの)

1時間以上かかった。

みんなに見られながらの身支度の整えなんて、母的には絶対嫌いなシュチュエーションだけど(叔母も言ってた)いい体験でした。

やっている間全然悲しくなくて、それより向こうへ旅立つ母のお手伝いをしてるという気持ちと、おくりびとのおねえさんの一生懸命さが興味深くて涙なんて出る気配もありませんでした。

ただ、今回はたまたま親戚がいっぱい参加してくださって力仕事も無理なくお手伝いできたけど、家の人が一人とかだったらどうしたんだろうと疑問に思いました。

親戚たちもこんな体験は初めてだと言っていて、いとこの子供の男の子にも立ち会わせてしまったのはちょっと申し訳なかった。(会社とかで話の種にしてください・・)

午後はお寺に行ってご住職と戒名を決めるためにお話合い。

家の話を聞き、結構古い家系だと知しました。

火曜日の午後、母は家を出ます。

その時どんな気持ちになるか、今はまだ想像できません・・・
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# by nonky414 | 2015-11-30 01:04

最愛の人の最後の日

ここ数年ライオンズのことしか残してこなかったけど、今日は自分が生まれてから最大の重大な1日だったので記録します。

平成27年11月28日午前3時22分。

スマホがブルブル鳴り出した。

いつもはちょっと離して置いてあるのだけど、今日は寝る前にゲームをしながら寝てしまったため耳元に落ちてたおかげですぐに気付く。

昨日の夜はまさかの充電切れだったから私の最愛の人はわざと今日にしてくれたのかもしれない・・・

表示は母が入院している病院から。

「呼吸が止まりそうなのですぐに来てください」

ああ、とうとう来たか。

ちょうど5か月前の6月28日、脳梗塞で倒れた母はあと1週間ぐらいしか持ちませんねというお医者さんの言葉をあざ笑うかのように今日まで生きてきました。

昨日の夜顔を見に行ったときはまだ唇が赤く、呼吸も苦しそうではあったけどちゃんとしてたからもう少しいてくれるかなと思ったけど・・・・

すぐに準備して、あとのことを考えて部屋の片づけもしたかったけど諦めて20分で病院着。

真夜中の病院は人気がなくてさみしいのだけど、そんなこと考える余裕なし。

ただ、暗い廊下もちゃんと暖房が利いているんだなって感じました。

病室に着くと、そこにはどんなに悪くても酸素吸入器はしていなかった母が吸入器をつけていました。

吸入器の下の唇は真っ白で血の気がなく、最悪の状態であることは一目でわかりました。

「今心臓マッサージをして少しモニターの反応が出ました・・・・」

たぶん自分が着くまで夜勤の女の先生がもたしてくれたのだと思います。

それから数分後、3時48分地球上で一番の最愛の人はこの世を去りました。

なぜか涙は出なくて・・・

その時思ったこと。

「すごいよお母ちゃん、またもや土曜日にやってくれたね」

これまでの数年間、自宅で具合が悪くなったり骨折したりしたときはすべて土曜日と日曜日。

今回も6月の時は日曜日。

10月に悪化したときも日曜日。

2週間前、結核感染騒ぎ(陰性でした)があったときは土曜日。

あの母のことだから、通勤時間1時間半都内勤めの私のことを思ってというより、自分のためという感じなのだけど、それにしてもやるじゃん。

意識がなくとも土日がわかるとは。

そりゃさみしい、すごくさみしい。

それでもその悲しみが残されたものにとっては最小限になる終わり方でした。

最初に覚悟してからだから気持ちが少し大丈夫になってました。

高齢なのにたいした痴呆も現れず倒れるその日までトイレもお風呂も食事の支度も自分でできました。

病院での5か月間も印象深いものでした。

救急病院からかかりつけの病院にその日のうちに転院し(最後は慣れた病院のほうがいいだろうと)、主治医に太い血管が詰まっているから(右脳のMRIはほぼ真っ黒)、「もって1週間です、合わせたい人がいたら早めに」とドラマでしか聞いたことがない言葉を言われ、担当の看護師さんに99%ダメですよねって聞いたら96%ぐらいですかねと言われ3%の違いなんて意味ないじゃんて思ったこと。

意識がなかった1週間、看護師さんがいないところでこっそりと母が大好きなブルボンのバラエティーパックのチョコビスケットを鼻先に近づけたらちょっと動いて反応してくれてうれしかったこと。

だんだんと意識が戻ってきたら、命の綱の点滴を隙あらば取ろうとしたため右手にミトンをさせられ(左手は麻痺で動かず)、自分が行くと「取ってよ!、取ってよ!」と子供のようにお願いされたこと。

ある日行くと、「怖い怖い」と言ってきて何かあったのかなあって情報収集をしてみたら真夜中に大声を出して隣の患者さんに怒られたらしかったこと。

しょっちゅう大声を出していて、看護師さんにうるさくてすいませんと謝ったら、「個性的な方ですね」って言われたこと。

1か月ぐらいたって感染症にかかり命に関わるほどではないけど院内感染するといけないので隔離しますと言われ、96%って最初に言ったのに・・・・って思ったこと。

隔離部屋にあったテレビをつけたら、いつのまにか顔がすごくテレビに近づいていたこと。(動けたことにビックリ、母はテレビっ子でした)

2か月たってかかりつけの病院を出る日、ここまで持ち直すとはは思いませんでしたと看護師さんに言われたこと。(3か月で追い出される病院でした)

長期入院できる病院に転院した日、同じような名前の遠くの病院に連れて行かれてしまい予定時間の1時間遅れで届けられたこと。

同じく転院の日、具合が悪くて朝から眠ったきり、おとなしい人だと思われ静かな患者さんたちの病室に入れられ「いつもはすごく声を出してうるさいんですよ」って言っても気にしてもらえず「早く声が聞きたいなあ」なんてのんきなことを言われたが、手続きが終わり一旦家に帰って2時間後に病室に行ったらもう耳が遠い患者さんたちのいる部屋に移されていたこと。(個性的は伊達じゃない)

水が飲みたい飲みたい、と言われ「ダメなんだよ」て言いながら濡れたティッシュで目を拭いてたら一瞬で奪われ口の中に入れてしまったこと(焦った、そんなに飲みたかったんだね。最後まで食事ができなかった・・・)

タン吸引の時、動く右手で看護師さんをボコボコに叩きまくり、とうとう布団で右手を包み看護師さんが体で抑えながら処理してくれたとき本人は苦しいだろうけど思わず笑ってしまったこと。(看護師さんには苦労をおかけしました)

ある日、寝返りの担当が男のヘルパーさんだったとき手を握って離さなくなり、看護師さんが「あらあら、娘さんと間違えてるのかな」って言っていたけど入院してから私は一度も母から手を握られたことがなかったこと。(てか、物心ついてから最後まで・・・)

敬老の日の写真撮影で、起きているのにまったく目を開けない母に困った看護師さんが「この病院で一番のイケメンがいるから目を開けて」って言ったら本当に目を開けたこと。

そしてキョロキョロし、一言「いない・・・」 そこにはみんなに笑われいてる若い男の看護師さんがいたこと。(ごめんなさいね、好きなタレントはSMAPなの・・)

一番調子よかった9月の終わりごろは、毎日雨戸を閉めているかとかごみを出しているかとか家の心配ばかりしていたこと。(ちゃんとやるよ)

ベッドの上での発声練習(自主練)でなぜか隣近所のおじさんおばさんの名前ばかり何度も言う。私の名前を忘れたのかと思って「私は誰?」って聞いたらフルネームで言ってくれたこと。(覚えてくれていたのはうれしいけどフルネームは初めて)

母の姉妹がお見舞いに来たあと機嫌が悪くなり、動けない自分のことをイモムシと言い出したこと。(歩いているみんながうらやましかったらしい)

点滴を取ってしまうからずっとミトンをしていたのだけど、私がいるときは取っていいと言われていたので取っていたら、動く右手で何度も布団を引っ張り肩を隠すまで持ち上げて寒いのかと思って見ていたら、右手をこっそりと足のほうまで伸ばしていたので布団をどかしたら今まさに点滴に手をかけるところだったこと。(点滴は太ももからでした。悪知恵が働いていた1カ月前)

結核の疑いがかかり検査の結果陰性だったのだが、母の心配より自分が移ってなくて安心してしまったこと。(このころから意識がなくなってきた11月14日)

ずっと目を覚まさないから、夜見舞い行ったときすごーく冷たい手を首筋にあてたらピクッてしたこと。(ゴメン)

昨日、冷たい手で触っても無反応なのでいろいろなところを冷たい手で触りまくってしまったこと。(まったく動かないからヤバイかもと思った)

倒れてから5か月。

後悔したくなくて6月28日から11月28日まで1日も欠かさず病院に行きました。

たとえ10分でも顔を見せるのは、自分が母にできる唯一のこと。

奇跡なのかわからないのだけど、この5か月間平日夜の6-7時台の西武池袋線は大きな遅延が1回も起きませんでした。

おかげで皆勤賞。

ドーンとからきてからのまさかの回復で、いろんなことがあって、ちょっとずつ弱くなっていって徐々に徐々に覚悟ができました。

突然いかれてたら自分がどうなっていたか。

今日病院で涙がでなかったのもそんなこともあったのかなと自分を無理やり納得させています。

それでも母が家に帰ってきて、親戚の人たちが引き上げて一息ついた後、何十年かぶりに声を出して泣きました。

父の時はずっと冷静でいられたのに、やっぱり母親というものは別格でした。

午後は本人には悪いけど、一緒にいるのがイヤで(母が見えると心がギュッとなる)買い物に行ったり病院に挨拶に行ったり親戚に今後の予定表渡しに行って長話したり。(お線香は渦巻き式の長時間もつやつだから大丈夫)

夜になって今日までのことをまとめ始めてやっと心が落ち着いてきた感じです。

お隣のおばさんがお焼香にやってきて泣いてくださった時も、母のために泣いてくれるおばさんがすごく嬉しくて自分は微笑んでいられました。

ご飯もやっと口にできました。

それでもまだ母をよく見られない。(夜だからかもしれない。)

でも母が家にいられるのも、しあさっての午後まで。

産んでくれてありがとうって言えなかったのが心残りではありますが、今まで一緒に生きてくれたことを感謝しながら最後の時を過ごします。



そして、青梅の「 武蔵野台病院 」の先生、看護師さん、ヘルパーさん。

「個性的」な母を3か月間、やさしくていねいに看護してくださってありがとうございました。

もし何かの間違いでこのブログにたどり着いた方に伝えたいです。

武蔵野台病院はいい感じですよ。

治療は素人なのでわからないのですが、スタッフの方たちがみんなまじめでいい人ばかりです。

毎日毎日通っていた自分が言うのだから間違いありません。

3か月の間、同じ空間にいる人に対してなんだよ!って思わなかったのは結構すごいことだと思いませんか。

仲良しでも気に障るとこはいっぱい起こるというのに。

母の最期をこの病院で過ごせたことはすごく良かったと思っています。

ちなみに母の妹たちも私も最後はここにしようかなって言ってました。

患者と家族にとって一番大事なのは治療ですが、人間関係はそれと同じくらい大切です。

イヤな思いをしないというのは、薬と同じくらい体にいい効果があると思います。

あ、別に親戚がこの病院の関係者というわけではありませんよ、本心。


怒涛の一日がもう少しで終わります。

搬送の車を病院の談話室で待っている時、真正面から朝日が昇って来るのを叔父叔母たちとずっと一緒に見ていました。

病院は高台にあって、今まで生きてきた中で一番きれいな日の出を見ることが出来ました。

雲一つない日で、ポツンと針の先ほどだった朝日の粒は見る見る大きく膨れ上がり、暖房ではあまり温度が上がらなかった談話室を目をまともにあけていられないほどの光で包み、暖房がいらないほどの暖かさを運んできてくれました。

今日の朝は一生忘れないと思います。
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# by nonky414 | 2015-11-28 23:35

今年のドラフト、野手2人投手8人!

計10人!!

数打ちゃ当たる作戦か?

毎年他球団より少ない指名なので今年は超異例。

肩を叩かれるピッチャーが確実にいるのでしょうな。

今日のドラフトを見てドキドキしている選手、彼とか彼とか彼とか・・・

1位
多和田 真三郎(たわた しんさぶろう)
生年月日 1993年4月13日(22才)
ポジション 投手
投・打 右投・右打
身長・体重 182cm・82kg
所属 富士大学

2位
川越 誠司(かわごえ せいじ)
生年月日 1993年6月30日(22才)
ポジション 投手
投・打 左投・左打
身長・体重 174cm・80kg
所属 北海学園大学

3位
野田 昇吾(のだ しょうご)
生年月日 1993年6月27日(22才)
ポジション 投手
投・打 左投・左打
身長・体重 167cm・73kg
所属 西濃運輸

4位
大瀧 愛斗(おおたき あいと)
生年月日 1997年4月6日(18才)
ポジション 外野手
投・打 右投・右打
身長・体重 179cm・84kg
所属 花咲徳栄高等学校

5位
南川 忠亮(みなみかわ ただすけ)
生年月日 1992年1月13日(23才)
ポジション 投手
投・打 右投・右打
身長・体重 180cm・84kg
所属 JR四国

6位
本田 圭佑(ほんだ けいすけ)
生年月日 1993年4月24日(22才)
ポジション 投手
投・打 右投・右打
身長・体重 179cm・80kg
所属 東北学院大学

7位
呉 念庭(うー ねんてぃん)
生年月日 1993年6月7日(22才)
ポジション 内野手
投・打 右投・左打
身長・体重 178cm・75kg
所属 第一工業大学

8位
國場 翼(こくば つばさ)
生年月日 1993年12月5日(21才)
ポジション 投手
投・打 右投・左打
身長・体重 181cm・81kg
所属 第一工業大学

9位
藤田 航生(ふじた こうき)
生年月日 1997年12月11日(17才)
ポジション 投手
投・打 左投・左打
身長・体重 175cm・66kg
所属 弘前工業高等学校

10位
松本 直晃(まつもと なおあき)
生年月日 1990年11月14日(24才)
ポジション 投手
投・打 右投・右打
身長・体重 179cm・78kg
所属 香川オリーブガイナーズ

ふぅ~・・・

10人は多い。

果たしてこの中から来年1軍の戦力になる子は出てくるかな。

去年は投手ではこうな以外ファーム漬けだったからねえ。

10人の名前、早く覚えないと。

それにしても今年のストーブリーグは静かね。

去年は全部悲しい結果になったとはいえ、FAで二人取ろうとしていて毎日ドキドキしてた。

取らなくてよかったけどさ。

あとは、銀さんの去就と新外国人ぐらいか。

春まで長いな・・・
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# by nonky414 | 2015-10-22 22:58

143試合目 対オリックス 1対4 69勝69敗5分 秋山安打新記録達成ともにシーズン終了

216安打でフィニッシュ!

明日からのオフはゆっくり休んで身体のケアをしっかりしてくださいね。

今日の敗戦でAクラスは無理でしょう。

春先はあんなに勝っていたのに終わってみればこれです。

トップの選手の力はそれほど上と比べても劣っているとは思えないのよ。

他球団と比べてタレント揃いだと思うし。

球宴とかサムライJAPANの選手選出で12球団で一番選ばれているのがその証拠。

結局いかに最後まで息切れせずにいけるか。

選手層の厚さなのでしょう。

ただハムを見るとあそこほどお金をかけていないのに常にAクラスだから、スタッフも含めた球団の運営の仕方がライオンズはうまくないのよね。

特に人事。

現在のレギュラークラスがほとんど指名上位で占められているので、ドラフトはまあいいとして、やはり外国人選手ですな。

今年ほど外国人選手が力にならなかった年はなかったかもしれない。

ほとんどファームにいたんじゃないかな。

おかげで毎年ドべ争いの2軍は今年2位ですわ。

もったいないお金の使い方。

今年は早々と動いてほしい。

よい選手を獲得する気があるならですが。

その上で今いる選手を大切にしてください。

もうFAで心を痛めたくないです。

炭谷銀仁朗を他球団に取られるな!

ネットのニュースで見たのだけど、ライオンズは潮崎が1軍の監督になる2017年に向け地固めをしてるんだって。

そんなこと言わずに来年の優勝を目指してこのオフから力を入れて!

2年連続Bクラスはキツイです・・・
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# by nonky414 | 2015-10-02 00:02

142試合目 対オリックス 16対5 69勝68敗5分 秋山日本記録タイ

まさかの5安打の固め打ちで、日本新記録に並ぶ214安打。

秋山がこんな選手になるなんて思いもしなかった。

今年はオープン戦から調子良かったから期待してたけどまさかここまで。

本当に生真面目で知名度が低めだったけど、これで野球ファンに名が知れたね。

一発屋なんて言われないように、来年が勝負よ。
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# by nonky414 | 2015-10-01 22:10

141試合目 対ロッテ 2対4 68勝68敗5分 西口から光成へ、エースの継投

Aクラスフィニッシュが危うくなった試合結果はこの際置いといて・・・

稀哲の引退セレモニーに続いてこの日は西口の引退セレモニー。

先発雄星が岸の脇腹肉離れ離脱のせいで急遽先発になったことも影響したのか、まったくのへなちょこピッチングで早々と消える。

大差で西口に投げてもらうというもくろみは外れて1点差で登板。

井口に対して四球を出して終了。

消化不良な感じの公式戦最後の登板でしたが、試合後のセレモニーは実にいい感じに感動と少しの笑いが混ざってファンも選手もご家族もたぶん本人もよい思い出になったのではないかしら。

ライオンズを出てった多くの選手達からのコメントや今やロッテエース涌井の参加を見るにつけ、西口がみんなに慕われていたのがわかった素敵な催しでした。

西口がマウンドにグラブを置き、現役野球人生にピリオドをうった場面は少しクサイな思ったけど、みんなが引き上げた後最後に光成が一人でやってきてグラブを取り上げたときはさすがにグッときました。

エースが引き継がれた瞬間!

漫画のような演出にやられちまった。

たぶん、というより絶対これからライオンズの指導者になるのでしょう。

選手としてはもう見れないけど、まだまだライオンズとともに生きていただかないとね。

お疲れ様でした。

そしてこれからもライオンズをよろしくお願いします。
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# by nonky414 | 2015-09-30 00:00

140試合目 対楽天 5対1 68勝67敗5分 ひちょりのために

7回から森の代わってライトの守備についた森本。

8回裏、先頭打者は1番から。

森本は7番。

ライオンズの各バッターが森本に最後の打席を回すために一つに繫がった。

先頭秋山2ベース。

2番渡辺デッドボール。

3番浅村絶妙のバントで相手のエラーで出塁。

4番中村犠牲フライ。

1死1,2塁で5番メヒアは三ゴロも、必死の走りでゲッツー阻止。

6番栗山、審判の温情?もあり四球でとうとう7番森本へ。

泣きながらの打席はへなちょこなサードゴロだったけど、みんなの気持ちがつまった素敵な打席でした。

やればできるやん。

繋ぎ野球。

これから毎試合ひちょり呼ぶ?
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# by nonky414 | 2015-09-27 23:30