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暢気者で行こう

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おくりびとが家に来た

今日10時から納棺だったので、担当の人が二人ぐらいでやってきてちゃちゃっと30分ぐらいで終わるのかと思ったら、大した儀式が我が家の8畳の部屋で始まってしましました。

やってきたのは若いお嬢さん一人。

大丈夫?

だって力仕事だよ?

納棺師と出会ったのは初めてだったので、ポッカーン。

叔母たちもあの人一人でやるの?とボソボソ。

準備するのでぬるま湯を洗面器に半分ぐらい用意してくださいと言われお風呂場のそれを持ってキッチンにお湯を入れに向かったがよく見ると、いやよく見なくてもうちの洗面器は超汚れてる。

あわててキッチンハイターをかけゴシゴシ。

案外あっさり汚れは落ちて、ホッ

持っていくとふすまを締めて皆さん部屋から出ていてくださいと追い出される。

何がはじまるのだ。

鶴の恩返しの夫婦のように、見て見たい。

叔母が縁側からこっそり見てる。

「一人でやってた・・・」

何をだよ~

数分してふすまが開けられ納棺の儀式が始まる。

まず着物を着替えさせるという。

え?みんなが見ている前で?

と心配したが、1枚白い布をかけてその下でやるのでこちらからは素肌は見えない。

結構力がいるようで、母を横に向けながらムリムリっと引っ張りながら脱がせていく。

作業を見ながら、そういえば母はパンツ穿いているのかしらと変なことを思った。

ずっと寝たきりだったのでこちらからは病院に下着渡してなかったし。

それ用のがあるのかな。

昨日からずっと見れる状態だったけど布団をめくって見るという発想はなかった。

てか、見られなかった。

全部脱がした後、白い着物と紫の羽織を着せるという。

こりゃまた大変だ。

二枚を重ね合わせ母の横に敷いた後身体を傾けながらちょっとずつ下に滑り込ませていく。

布の下で器用にやるな・・・とは思わなかった。

力が入り納棺師さんの手ががプルプルして、手を袖に通す時はなかなか通らず母の手が着物の中ですっごく曲がっているのが見える。

着物の袖をギシギシ言わせながら力ずくで。

頑張れ!心の中でおねえちゃんを応援。

ポキって音が聞こえた気がしたけど気のせい、気のせい。

やっと着せ替えが終わったときは、こちらがホッとした。

顔そりと泡のシャンプーでさっぱりし、化粧の前にみんなで顔を拭いてあげる。

化粧のご要望はと聞かれ、普段化粧をしない人だから最後は真っ赤な口紅を・・・と思ったが絶対本人がイヤだと思ったのでお任せしますと。

ファンデーション、ほほ紅、シミやアザのところは重点的に、眉を整え、小さい布で隠しながらの作業はたぶん鼻毛を切ってくれていた。

出来上がった顔は・・・

赤い口紅にしなくてよかった。

赤かったら、オカマバーの年とったママになっていた。

亡くなる1日前に病院が散髪してくれていて (この日がもうすぐだってわかっていて切ってくれたのかも、結構伸びてたから)、人生で一番ショートカットの上横分けしてたから生きてるうちから、おっさんやんって思ってた。

これでいいですかって言われ、前髪をちょっとたらしたほうがいいかなって思ったけど、あとで直せばいいやと思ってOKを出す。(今でもママの髪型のままです。人相もいつもと全然違う・・・)

足袋、手甲をみんなで穿かせ、杖、草履を入れる。

ゆうれいでおなじみの三角の布は、顔の様子が変わってしまうからと懐に入れる。

棺が運ばれみんなで中に収める。

箱の中を整え、母が生前この日のために自分で用意していた若いころの着物と、洋服に頓着しない母が寒くなると唯一こだわったダウンジャケットをいっしょに入れてもらう。

蓋が締められ終了。

使ってたお布団はお焚き上げが出来るというのでお願いする。(よかった、もう使わないもの)

1時間以上かかった。

みんなに見られながらの身支度の整えなんて、母的には絶対嫌いなシュチュエーションだけど(叔母も言ってた)いい体験でした。

やっている間全然悲しくなくて、それより向こうへ旅立つ母のお手伝いをしてるという気持ちと、おくりびとのおねえさんの一生懸命さが興味深くて涙なんて出る気配もありませんでした。

ただ、今回はたまたま親戚がいっぱい参加してくださって力仕事も無理なくお手伝いできたけど、家の人が一人とかだったらどうしたんだろうと疑問に思いました。

親戚たちもこんな体験は初めてだと言っていて、いとこの子供の男の子にも立ち会わせてしまったのはちょっと申し訳なかった。(会社とかで話の種にしてください・・)

午後はお寺に行ってご住職と戒名を決めるためにお話合い。

家の話を聞き、結構古い家系だと知しました。

火曜日の午後、母は家を出ます。

その時どんな気持ちになるか、今はまだ想像できません・・・
by nonky414 | 2015-11-30 01:04

最愛の人の最後の日

ここ数年ライオンズのことしか残してこなかったけど、今日は自分が生まれてから最大の重大な1日だったので記録します。

平成27年11月28日午前3時22分。

スマホがブルブル鳴り出した。

いつもはちょっと離して置いてあるのだけど、今日は寝る前にゲームをしながら寝てしまったため耳元に落ちてたおかげですぐに気付く。

昨日の夜はまさかの充電切れだったから私の最愛の人はわざと今日にしてくれたのかもしれない・・・

表示は母が入院している病院から。

「呼吸が止まりそうなのですぐに来てください」

ああ、とうとう来たか。

ちょうど5か月前の6月28日、脳梗塞で倒れた母はあと1週間ぐらいしか持ちませんねというお医者さんの言葉をあざ笑うかのように今日まで生きてきました。

昨日の夜顔を見に行ったときはまだ唇が赤く、呼吸も苦しそうではあったけどちゃんとしてたからもう少しいてくれるかなと思ったけど・・・・

すぐに準備して、あとのことを考えて部屋の片づけもしたかったけど諦めて20分で病院着。

真夜中の病院は人気がなくてさみしいのだけど、そんなこと考える余裕なし。

ただ、暗い廊下もちゃんと暖房が利いているんだなって感じました。

病室に着くと、そこにはどんなに悪くても酸素吸入器はしていなかった母が吸入器をつけていました。

吸入器の下の唇は真っ白で血の気がなく、最悪の状態であることは一目でわかりました。

「今心臓マッサージをして少しモニターの反応が出ました・・・・」

たぶん自分が着くまで夜勤の女の先生がもたしてくれたのだと思います。

それから数分後、3時48分地球上で一番の最愛の人はこの世を去りました。

なぜか涙は出なくて・・・

その時思ったこと。

「すごいよお母ちゃん、またもや土曜日にやってくれたね」

これまでの数年間、自宅で具合が悪くなったり骨折したりしたときはすべて土曜日と日曜日。

今回も6月の時は日曜日。

10月に悪化したときも日曜日。

2週間前、結核感染騒ぎ(陰性でした)があったときは土曜日。

あの母のことだから、通勤時間1時間半都内勤めの私のことを思ってというより、自分のためという感じなのだけど、それにしてもやるじゃん。

意識がなくとも土日がわかるとは。

そりゃさみしい、すごくさみしい。

それでもその悲しみが残されたものにとっては最小限になる終わり方でした。

最初に覚悟してからだから気持ちが少し大丈夫になってました。

高齢なのにたいした痴呆も現れず倒れるその日までトイレもお風呂も食事の支度も自分でできました。

病院での5か月間も印象深いものでした。

救急病院からかかりつけの病院にその日のうちに転院し(最後は慣れた病院のほうがいいだろうと)、主治医に太い血管が詰まっているから(右脳のMRIはほぼ真っ黒)、「もって1週間です、合わせたい人がいたら早めに」とドラマでしか聞いたことがない言葉を言われ、担当の看護師さんに99%ダメですよねって聞いたら96%ぐらいですかねと言われ3%の違いなんて意味ないじゃんて思ったこと。

意識がなかった1週間、看護師さんがいないところでこっそりと母が大好きなブルボンのバラエティーパックのチョコビスケットを鼻先に近づけたらちょっと動いて反応してくれてうれしかったこと。

だんだんと意識が戻ってきたら、命の綱の点滴を隙あらば取ろうとしたため右手にミトンをさせられ(左手は麻痺で動かず)、自分が行くと「取ってよ!、取ってよ!」と子供のようにお願いされたこと。

ある日行くと、「怖い怖い」と言ってきて何かあったのかなあって情報収集をしてみたら真夜中に大声を出して隣の患者さんに怒られたらしかったこと。

しょっちゅう大声を出していて、看護師さんにうるさくてすいませんと謝ったら、「個性的な方ですね」って言われたこと。

1か月ぐらいたって感染症にかかり命に関わるほどではないけど院内感染するといけないので隔離しますと言われ、96%って最初に言ったのに・・・・って思ったこと。

隔離部屋にあったテレビをつけたら、いつのまにか顔がすごくテレビに近づいていたこと。(動けたことにビックリ、母はテレビっ子でした)

2か月たってかかりつけの病院を出る日、ここまで持ち直すとはは思いませんでしたと看護師さんに言われたこと。(3か月で追い出される病院でした)

長期入院できる病院に転院した日、同じような名前の遠くの病院に連れて行かれてしまい予定時間の1時間遅れで届けられたこと。

同じく転院の日、具合が悪くて朝から眠ったきり、おとなしい人だと思われ静かな患者さんたちの病室に入れられ「いつもはすごく声を出してうるさいんですよ」って言っても気にしてもらえず「早く声が聞きたいなあ」なんてのんきなことを言われたが、手続きが終わり一旦家に帰って2時間後に病室に行ったらもう耳が遠い患者さんたちのいる部屋に移されていたこと。(個性的は伊達じゃない)

水が飲みたい飲みたい、と言われ「ダメなんだよ」て言いながら濡れたティッシュで目を拭いてたら一瞬で奪われ口の中に入れてしまったこと(焦った、そんなに飲みたかったんだね。最後まで食事ができなかった・・・)

タン吸引の時、動く右手で看護師さんをボコボコに叩きまくり、とうとう布団で右手を包み看護師さんが体で抑えながら処理してくれたとき本人は苦しいだろうけど思わず笑ってしまったこと。(看護師さんには苦労をおかけしました)

ある日、寝返りの担当が男のヘルパーさんだったとき手を握って離さなくなり、看護師さんが「あらあら、娘さんと間違えてるのかな」って言っていたけど入院してから私は一度も母から手を握られたことがなかったこと。(てか、物心ついてから最後まで・・・)

敬老の日の写真撮影で、起きているのにまったく目を開けない母に困った看護師さんが「この病院で一番のイケメンがいるから目を開けて」って言ったら本当に目を開けたこと。

そしてキョロキョロし、一言「いない・・・」 そこにはみんなに笑われいてる若い男の看護師さんがいたこと。(ごめんなさいね、好きなタレントはSMAPなの・・)

一番調子よかった9月の終わりごろは、毎日雨戸を閉めているかとかごみを出しているかとか家の心配ばかりしていたこと。(ちゃんとやるよ)

ベッドの上での発声練習(自主練)でなぜか隣近所のおじさんおばさんの名前ばかり何度も言う。私の名前を忘れたのかと思って「私は誰?」って聞いたらフルネームで言ってくれたこと。(覚えてくれていたのはうれしいけどフルネームは初めて)

母の姉妹がお見舞いに来たあと機嫌が悪くなり、動けない自分のことをイモムシと言い出したこと。(歩いているみんながうらやましかったらしい)

点滴を取ってしまうからずっとミトンをしていたのだけど、私がいるときは取っていいと言われていたので取っていたら、動く右手で何度も布団を引っ張り肩を隠すまで持ち上げて寒いのかと思って見ていたら、右手をこっそりと足のほうまで伸ばしていたので布団をどかしたら今まさに点滴に手をかけるところだったこと。(点滴は太ももからでした。悪知恵が働いていた1カ月前)

結核の疑いがかかり検査の結果陰性だったのだが、母の心配より自分が移ってなくて安心してしまったこと。(このころから意識がなくなってきた11月14日)

ずっと目を覚まさないから、夜見舞い行ったときすごーく冷たい手を首筋にあてたらピクッてしたこと。(ゴメン)

昨日、冷たい手で触っても無反応なのでいろいろなところを冷たい手で触りまくってしまったこと。(まったく動かないからヤバイかもと思った)

倒れてから5か月。

後悔したくなくて6月28日から11月28日まで1日も欠かさず病院に行きました。

たとえ10分でも顔を見せるのは、自分が母にできる唯一のこと。

奇跡なのかわからないのだけど、この5か月間平日夜の6-7時台の西武池袋線は大きな遅延が1回も起きませんでした。

おかげで皆勤賞。

ドーンとからきてからのまさかの回復で、いろんなことがあって、ちょっとずつ弱くなっていって徐々に徐々に覚悟ができました。

突然いかれてたら自分がどうなっていたか。

今日病院で涙がでなかったのもそんなこともあったのかなと自分を無理やり納得させています。

それでも母が家に帰ってきて、親戚の人たちが引き上げて一息ついた後、何十年かぶりに声を出して泣きました。

父の時はずっと冷静でいられたのに、やっぱり母親というものは別格でした。

午後は本人には悪いけど、一緒にいるのがイヤで(母が見えると心がギュッとなる)買い物に行ったり病院に挨拶に行ったり親戚に今後の予定表渡しに行って長話したり。(お線香は渦巻き式の長時間もつやつだから大丈夫)

夜になって今日までのことをまとめ始めてやっと心が落ち着いてきた感じです。

お隣のおばさんがお焼香にやってきて泣いてくださった時も、母のために泣いてくれるおばさんがすごく嬉しくて自分は微笑んでいられました。

ご飯もやっと口にできました。

それでもまだ母をよく見られない。(夜だからかもしれない。)

でも母が家にいられるのも、しあさっての午後まで。

産んでくれてありがとうって言えなかったのが心残りではありますが、今まで一緒に生きてくれたことを感謝しながら最後の時を過ごします。



そして、青梅の「 武蔵野台病院 」の先生、看護師さん、ヘルパーさん。

「個性的」な母を3か月間、やさしくていねいに看護してくださってありがとうございました。

もし何かの間違いでこのブログにたどり着いた方に伝えたいです。

武蔵野台病院はいい感じですよ。

治療は素人なのでわからないのですが、スタッフの方たちがみんなまじめでいい人ばかりです。

毎日毎日通っていた自分が言うのだから間違いありません。

3か月の間、同じ空間にいる人に対してなんだよ!って思わなかったのは結構すごいことだと思いませんか。

仲良しでも気に障るとこはいっぱい起こるというのに。

母の最期をこの病院で過ごせたことはすごく良かったと思っています。

ちなみに母の妹たちも私も最後はここにしようかなって言ってました。

患者と家族にとって一番大事なのは治療ですが、人間関係はそれと同じくらい大切です。

イヤな思いをしないというのは、薬と同じくらい体にいい効果があると思います。

あ、別に親戚がこの病院の関係者というわけではありませんよ、本心。


怒涛の一日がもう少しで終わります。

搬送の車を病院の談話室で待っている時、真正面から朝日が昇って来るのを叔父叔母たちとずっと一緒に見ていました。

病院は高台にあって、今まで生きてきた中で一番きれいな日の出を見ることが出来ました。

雲一つない日で、ポツンと針の先ほどだった朝日の粒は見る見る大きく膨れ上がり、暖房ではあまり温度が上がらなかった談話室を目をまともにあけていられないほどの光で包み、暖房がいらないほどの暖かさを運んできてくれました。

今日の朝は一生忘れないと思います。
by nonky414 | 2015-11-28 23:35

踊り場の立ち話とライオンズの備忘録をぼちぼちと・・・


by saiko-warai